努力の定義とは何か。
努力の基準ってどこなの?
努力という言葉は日ごろからよく聴く言葉であると思います。僕は25歳の男子ですが、子供から大人になるにかけ、耳が腐るほどに聴かされてきました。むしろ、その腐食は脳にまで届きそうな勢いでしたね。
「努力しないと、良い大人になれないぞ」と。
とはいえ、実際のところ努力って何なのでしょうか。
僕は子供の頃に色々な大人に
「頑張るって何なのさ?」
という質問を投げかけていきましたが、どんな大人も応えることには答えるのですが、どれもこれもあいまいな答えばかり。
当時の僕は子供ながらに、
「大人が努力することの本質を知らないのなら、子供も努力をやろうとしないよな」
と思いました。
大人になり、僕はそれなりにシンドイ思いをしまして、そういった中。ちょっとだけ「努力」というものについて考える機会が出来ました。その中で、試行錯誤した結果。努力に対する考えを確立いたしました。
それを今回は書いていこうと思います。
努力とは、100日続けるものだと思う
僕が努力の基準にしているのは100日ですね。
100日続けることが出来れば、努力になったといってもおかしくないと思っています。
100日とは、月で言えば3か月ぐらいですが、僕自身の経験から言っても、他の人を見ていても3か月続けることが出来た頑張りは、なんだかんだ今後も続いていく。
ぎこちなく続けていた頑張りが、生活のリズムとして刻まれ、「やらないことには気持ち悪くなる」その境界線が3か月なのです。
そして努力とは、つまるところ「やって当たり前のこと」であり。
習慣化するものなのです。そうすれば、努力は100日から説は割と濃厚ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
100日頑張れても、適当な努力は努力じゃないだろ
そういったことを言う人もいるのかもしれませんが、人は100日間やっていればたとえ適当にやっていても、何日かは真面目に出来る日が来るものです。
そういった日が多少なりともあれば、101日後~200日ぐらいまでにその頻度は上がっていくものなのだと思います。
単純接触の法則といって人は、触れる回数の多い物を好きになり。入れ込む。
という心理学がありますがそれは努力にしても同じで同じことを繰り返していく内に、そこには情熱が生まれてくるのです。
努力が続かない奴は気合を入れて3か月続けてみよう
そもそも人は100日間、同じことをやっていたら何かしらの変化が生まれると思います。
「100日後に変われる俺」を目指して、とにかく3か月続けて、そこで変化がなかったら、また仕切り直せばいいと思います。
努力が報われなくとも、努力が出来た自分がそこに入るわけで、多少なりともそこは自信になるのではないかと。
努力は報われる。
という言いますし、これはキレイごとにとらえられることも多いのですが。
突き詰めて考えれば、今後に生かせるわけであり、となれば努力は報われるは金言ともいえるのです。